 
新陰流兵法二十世
「柳生厳長」

新陰流兵法二十一世
「渡辺忠敏」 |
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「柳生厳周」
尾張藩最後の新陰流師範柳生厳周【としちか】は、元治元年(1864)、21歳にて、父厳蕃ならびに兵法補佐長岡房躍より正統十九世の印可を承け、尾張藩剣術教導総裁も勤めました。維新の荒波を切り抜け、その後も新陰流の遺伝に努めました。
「柳生厳長」
二十世柳生厳長【としなが】は、近衛師団師範等を勤め、戦後は柳生会東京月例会および著書『正傳・新陰流』において伝書等を公開するなど、新陰流の遺伝・弘流に努めました。
「渡辺忠敏」
渡辺忠敏【ただとし】は、大正6年(1917)柳生厳周に入門、厳周引退後は柳生厳長に師事し、厳長の晩年にはその補佐役を勤めました。
柳生厳長より新陰流の後継者に指名され、新陰流兵法二十一世となる。新陰流兵法転会他において新陰流を指導。
著書に『新陰流兵法太刀伝』・『柳生流兵法口伝聞書』があります。
「渡辺忠成」
渡辺忠成【ただしげ】は、昭和44年(1969)1月、新陰流兵法転会を結成し、新陰流の弘流・顕彰の活動を始めました。
昭和47年(1972)、新陰流の道統を継承し、新陰流兵法二十二世となる。現在も新陰流兵法転会において鋭意活動中です。
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